制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

またふゆだ

夏が1番すきだと言い続けて何年だろう、いまだに夏がすき、ずっとすきでいたい。

 

でも冬もすき。寒くて、クリスマスソングが流れて、寂しくてしあわせ。

歩いていればすきなひとを自然に思い出す季節だ。

 

私にとってすきなひととは、手が届かないひとなのかもしれない。

同じ土俵で戦いたいんだけども、同じ土俵で戦ってしまったらいまなら圧倒的に負けが決まっているような、経験値でぶん殴ってくるひとたち。

そんな彼らに憧れて、敬愛して、悔しくて、かっこよくてすきになってしまう。

強い感情を抱く時、それは恋だし悔しさだ。手に届かないから、飛び道具みたいな恋愛を使って、異性という肩書を使って斜めから目の前に降り立つ感じ。そんな気がしてきた。

 

彼らに浅ましいところ死ぬほど見せてる。憧れる人間にほど見栄を張ってしまうの辞めたいなあ。けどもそういうものなんだよ。

どう都合よく解釈したって、バカか?と思われているだろうし、しょうもないと思われているんだろうが、なんとか関係性が保たれているので私の自尊心もギリギリ保たれている。あ~あ、人間ってなあ、、。

 

彼らはいつだって自分が正解みたいにしている。思いやりの主語を使わずに断言する人間も、自分の意見を言わない人間も、自分が正解かのように納得しながら生きているようだ。はあ腹立つなあ。誰も正解を持っていないはずなんだけど。

 

真面目ぶっているのが、目の前のことに執着するのが、きらいだ。

小さなことや自分の感情や自分に執着するだとか、ただのからかいを本気かどうか議論しているのが浅ましい。自己紹介になっているなあ。ねえ。

でもどうにもこの真面目精神みたいなものが消えなくて、これが田舎臭い気もしていて、ソフトボールを真剣にやりすぎたかもしれない。

違うんだよなあ、自由になりたいし自由な私もいるのに、私のこと引っ張り続けている私がいる。ああでも自由って本当の自由じゃないし、わからないなあ、すきなひとと戦いたいから同じ土俵を選んでしまいそうで怖い。

逃げたくない。それぞれのよさとかそうじゃなくて、ちゃんと肩を、隣で肩を並べられる人間になりたい。斜めとか、場所が離れていて遠くから挨拶するんじゃなくて。

 

でもそれは彼らに認められたいからじゃない。彼らと並べるだけの人間であると自分に認められたい。

私は結局誰からの承認も必要としていないんじゃないか。本気で誰に褒められようと、癒やされるのは心が死んでいるときだけで、いやいつでも癒やしではあるんだけど、ああうれしい!生きていてよかった!となることは少ないんだな。

私は、私に最高って思ってもらいたい。そのための理由付けをしていく人生。よりよく生きるのはそのためで、美しくなりたいのもそのためか。

多分、多分だけど、私に認めてもらえれば、そのときは私の前から権力とか恐れがいきなり消えるんだろう。それは遠くない気がしていて、そこまで近くない気もしている。