制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

あの日の私と暗い部屋

2年前かそこら、よく聴いていた、というか夜、一人で部屋にいるときは無条件で聴いていたプレイリストに入っていた曲を、久しぶりに聴いた。

あの頃は、どうしようもなかったから毎日のように泣いて友達に電話をかけていただけで、特にそれを異常だと感じたことはなかった。けれど、いま、あの曲を聴いて戻ってきたのは、思い出したくないほどつらくて心がきゅっと緊張する苦しみだった。

 

あの頃と、私はだいぶ変わった。

もう、つらくて、自分の空想や思い込みに苛まれて泣いて疲れて眠ることもほぼない。

代わりに、やるせない気持ちを私に代わって叫んでくれる快楽主義のバンドを聴いて、一人、部屋で踊っている。そして、すべてを拭ってくれる朝をたのしみに、白いシーツに横たわる。

 

何度も何度も考える意味のない"もしも"や、やめたくても癖でしてしまう他人との比較に支配される夜を、自分で終えられるようになった。

考えても結論はでないし、また朝はくる。

どんなに泣いたって、誰も助けてくれない。

でも、必ず朝はくる。

そう思うように、諦めるようになった。

 

諦めをいいことだなんて思えなかった。

そんな頑固な認識を変えてくれたのは、大学終盤でやってくる社会の風習や、恋人のドライなところ、友人との関係の変化、その他いろいろ、私が悪態をつきたかったもので。

渦中にいるとどうしても目についてしまって、囚われてしまう、人間であれば「ちょっといやなやつだよあいつ」とでも吹聴したくなるような、そんな事柄が少しずつ、不覚にも私の考え方を変えてくれたのだった。

何かを諦めたら、それはそれで意外と心地よいことに気づく。

自分で自分をコントロールできることが、一人でも夜を超えられることが、たのしい。

何かを諦めたら新しいたのしさに気づけるかもしれないと、いまなら少し思える。

 

少しずつ変わる友人との関係も、そうやって新しいたのしさをもたらしてくれるのだろうか。

「話したい内容によって話す人を変える」という友人や、理解されたいようで理解されたくないのであろう自分より少し先に社会に出た友人と、理想主義的で、異性と同性の違いをまだすんなり飲め込めない自分の、危うげながらも確実に、存続の意思をもって調整していくこの関係も、きっとまた、ああできたからこそよかったと、そう振り返るべき過程にあるんだろう。

夢見る少女たちが、現実へ足を踏み入れてもどうにか手をつないでいられるように、支え合っていけるように、隣同士、目を合わせながら確認している。

 

思ったよりこの世の中は広くて、もしくは、思ったより人間の自己中心的な視点は狭くて、少し歩む道が違えばすれ違う。

大切にしたいもの、やりたいこと、ありたい姿が、着実に多様性を増して、気軽な意見表明が価値観の違いを明るみに出すようになる。

それでも、きっとしあわせと感じるには、自分だけの譲れないものが必要なのだ。

こんなに、聞いてもない他人の意見と、羨望を煽る知らない人間の業績と、心配を含んだ親しい人間の期待と、自分しか理解のできないトラウマにまみれた自分の世界で、本当にしあわせな瞬間を守り抜くには、ちゃんと譲れないものを認識しておかないと、すぐ流されて、知らない間に、きれいと有名だけれど自分が望みもしなかった島へとたどり着く。

だから、それぞれが自分の杭を立てて、波に飲まれず、立ち止まったり、進んだりしないといけない。

 

もし杭を立てる場所の違いですれ違うようになっても、その人を応援できるように、今までと違って無駄に干渉しすぎないようにしないといけなくて、それが大人の関係というらしい。

そんなのくそくらえで、迷惑だろうと相手のためになる口出しならいくらでもしてやる、というおせっかいな気持ちとともに、もし自分の感情が抵抗してもその人がしあわせだというならそれは尊重したく、できれば祝える自分でいたいという自身への期待。

その人のしあわせのために、手を離したとき、それを友情と呼べるかは正直まだわからない。それでも、過去の夢見る少女たちのしあわせに期待を込め、前に進めればと願う。

 

夢見る少女たちは、それぞれ自分の道を歩み、ときにどうにもならないことにぶつかり諦め、また前を向き、変わっていく。

もし現状維持を願い立ち止まれば、他の少女たちとはずいぶん離れてしまうから、やっぱり自分を信じて、ときに手をつないだり少し遠くから手を振ったりすることを願って、前に進んでいけばいい。

変わらない世の中に、自分に、絶望しても、やっぱり何度も前を向きたい。

どうにか笑って、この世を愛して生きていきたい。

 

もうあの曲は聴けないけれど、あの曲を聴いていた頃の自分を恥じることしかできないけれど、いまの曲を聴けなくなる日がこないことを願うようで、聴く曲がまた変わっている日を願うけれど、それでもどうにかやるしかないから、また今日も自分だけの応援歌とともに。