あいとかなんとかいってたよ
私が大事にしてきた愛は、人への強い思いはただの執着だったかもしれないと、突然勘づいたのであった。
ルールを欲しがってしまう、何か決まったルールを信じていきたい、それは私の弱い部分なのかも。
私のルールは、すきなひとなのだ。
分かりやすい宗教とかコミュニティじゃないけど、私にとっての信奉。愛の矛先。宗教とかコミュニティと同じように、自分が認められるための手段。
だから、永遠にすきなひとが途切れない。
私は異様に自己肯定感が低いのかもしれないと、ふと銭湯の脱衣所で思い立った。
正確にいうと、私という人間は私の愛を受け入れるほどの器でないのではないか。
だから、誰かを熱狂的に愛して信奉して、その人に認められることで自分を認めている。
分かんないんだよな、自分を拠り所にする意味が、究極の戻る場所を自分に置くことの意味が。
とか偉そうにいうけど結局私も私が一番可愛いんだろうけどさ。
でも、つまらない。自分を拠り所にして、何が楽しいんだったか?
分かんないから、理想や関係性に執着してる。
ただ、自分の愛を執着と捉えたら、ああなんかここにいるのって虚無で違う気がしてくる。
執着に塗れているだけで、「ありがとう、私の人生にとって大事で必要な存在だった」と一言言えれば足元から簡単に崩れていくように思える。
怖いよ、怖いなあ、私の大事なものたちが何でもなくなるなんて、私を賭ける存在がいなくなるなんて。
全部虚構みたいだ。
日常的で人間的な一切を愛した昼下がりがあれば、日常的で人間的な一切が気持ち悪くてしょうがない夜がある。
結局全員人間で、遺伝子レベルの影響を強く受ける動物でしかなくて、日常とやらを何十年やり続けて小さな情動に翻弄されて死ぬのか。
私も例に漏れず、遺伝子に促されて、自分の生存のために必死で感情を抱き行動していくんだろう。
全員人間で、ただの人間で、どこにもルールがないとしたら、あーなんかめちゃくちゃつまんないよ。
そんな事を考えながら聴いた、最近すきなバンドの曲は、どこか軽くて抜けていてニヒリズムが漂っているように思えた。