せいふくしょうじょろん
湿度は高いがさらっとした風が吹く、晴天、27℃の6月序盤。青々とした緑を嬉しく思う。
久々に友人に会うかもとすこし時間を余分にかけた装いで母親の車から降りる。
駅前や駅のホームには夏用のベストに腕をまくった少女達。
と、1時間に1本の電車を共に待つ。
友達と他愛のない話をする子、携帯をずっと見つめる子。
数年前の私とてこの少女達と変わらない。
狭かった。視界が、世界が、規則が。
希望しかないようで、描ける未来は陳腐で小さかった。
キラキラ輝いているようで、他人の目ばかり気にしていた。
自由が増えたようで、まだ子どもだとずっと言われ続けているようだった。
"高校生" "青春"というレッテルを貼られていた。
電車に乗れば同じく"高校生"と目が合うし、社会から見れば"女子高生"だった。
制服を着た同年代の人間が仲間で、でも制服が違えば他人だった。
部活は?恋愛は?文化祭は?勉強は?
そんなことばかり聞かれていた気がする。
すこし話しただけの同級生の休日をSNSで見て、真似してみたり、貶してみたり。
SNSで頑張ればインスタグラマーだと言われ、すこし目立てばなにかしらの評価をつけられた。
全然、自由なんかじゃなかった。
再現不可能に思える時間がたくさんある。
違うことをしているのに大体同じ時間に終わる部活、そのあとに合流して食べるファミレスのご飯。
休日、砂と太陽の日差しに揉まれながら夏バテし、帰りに食べるコンビニのアイス。たまに31のやつ。
45分間の昼休みに外にレジャーシートを引いてお弁当を食べながら撮った自撮り何百枚。
気になる人を購買で見つけてときめく昼休み。
文化祭でみんなでおそろいのTシャツを着て準備するあの期間。
2期制のおかげで4回もあったテスト期間にする通学時間の詰め込み暗記。
長い通学時間のために用意したお決まりのプレイリストをかける時間。
懐かしくて、恋しくて、生き生きしていた。
あれが世界だと思っていたしあれが世界だったし、とても楽しかった。必死だった。
いま同じことを、同じひとと、同じような気持ちでやろうということはできるけども、多分、悲しいことにそこまでたのしくはない。
経験で得た広い世界、経験で変わってしまった自分の心。
ずっと必死だった。
友達と笑うこと、ボールを追っかけて勝負すること、人から好かれること、すきな人をすきでいること、かわいくなりたかったこと、テストでいい点をとること、学生だからと無茶をすること。
必死で、窮屈で、たのしかった。
周りの目が気にならないように、周りの目を気にしながらイヤホンをつけて携帯を見つめる彼女達。
彼女達も必死に今を生きて、次は自由に解き放たれてしまうのだろう。
自由に解き放たれたとき恋しく思う窮屈であんまりで輝いている日々が、日々を、彼女達が紡ぐことを願う。