制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

あまーいせかいにずっといた

 

「やや底が見えるというかね」

ああ、私の人生ってそうなんだ。

ていうか多分私がそうなんだ。

定期的に、冷たく見える言葉を平気で投げてくる人と会う。

 

ただ疑問に思っただけ。

そして、疑問をぶつけただけ。

「うーん、もうちょっと自分のギブを考えた方がいいのではないかな」

面食らった。なるほど。そうか。

大人というものは分からない。

 

私の彼氏の話を聞く限り、社会人とは随分学生に寛容で優しいようだったし、友達の話を聞いていても、事業規模・詳細問わずに協力してくれる人ばかりのようだった。

ああ、そうか、私は甘えが足らないのか、と思っていた矢先がこれだ。

 

自分の軽薄さに薄々気付いていた。

それが問題だった。

 

勝手に他人を分類しては予想外の一面や業績に面食らった時に、まさかないだろうと思っていた人に抜かされた時に、自分が勝ると思っていた人にできることが自分にはできないと気付いた時に、感じる情けなさ。

自分はなんて軽薄なんだ、なんてつまらないんだ、と思うと、ある程度上辺で作れた業績が私を慰める。でも、あの子が得ないあれを持っているし、あの人ができないこれを出来る。そんな私だからいいのだと思っていた。

 

最近、余裕がなかった。

5daysのインターン、友達と話す時、家事をする時、歩いている時、すべて何かうまくいかない感じがしたしどこにも余裕がなかった。

家で音楽を聴いていようとも、なんだか急かされているようだった。

それはすべて、自分のバリューが発揮できていないと感じたから。

私がここにいる意味、友達に与えられるもの、同級生の中で秀でるもの、人生をきちんと振り返り現実を見るほど見つけられなかった。

自分の価値は無いのではないか、いやそんなはずはない、という、焦りと誇大したプライドのせめぎ合い。

 

いまだにこうだ、いまだに承認欲求ばかりに振り回されて生きている。

誰かに褒められ自分の価値を見出さなければいけない私、そんな私の恋人は決まって私ができないことをできる人、私の尊敬する人。

なぜ尊敬する人を選ぶか、これは異性としてだけでなく能力までも評価して欲しかった、評価されて安心して自分の価値を見出せる場所が欲しかったから。

だから、インターンや就活の話をするときには彼氏の反応を予想したり、反応の裏にあるであろう考えを伺ったりばかりしていた。

一緒に仕事をする誰かを褒められると私がだめなようで聞きたくなかった。

「仕事の話を本気でしたら、私のこと甘いって思うよね、たぶん」

と保険のつもりで言った言葉にうんと返された時には地味に凹んだし。

私が付き合う意味は、相手を独占するなんて可愛いものじゃなかった。

自分の尊敬する人に、自分を一番として常に扱うように強制できるから付き合っている。

 

「自分はダメなのではないか?という命題から逃れられない」というツイート、まさにその通りだ。

社会的な地位や表面的な性格で他人を裁いてるから自分がその罠にハマるそうだ。

多様性、偏見なし、博愛、そんなものを謳っていたときもあったなあ、どの口が言っているのか。

すべて、"そういう風に出来る自分"の演出のためだった。

 

他人を測る自分の物差しすらない。

「子供でも分かるような外見の優劣や、周りから好かれているかどうかでランクづけをしているのは、尚更たちが悪いし救いようがない。」

ずっとずっとこれをやっていた。かっこ悪いことだなんて知らずに、ずっと。

 

甘いよね、甘いのわかってる、と

ずっと言って何もやらなかった。

それだけの覚悟も思いもない、だからみんなに抜かされる。

私のいまの最大の欠点。

私の前には必ず、冷たいような言葉を投げかける人が時折現れてくれる。やっと感謝できるようになった。

 

それでももう今までみたいに、よしもう変わる!なんて怖くて言えない。

何回もそう思って振り出しに戻ってきて、現状これだ。

でももう早く進みたい。もうこんなことやめたい。すぐは無理だけど、ちゃんと全部壊したい。

まっさらに、素直に生きて、夢中になりたい。

なりたいではなく、なると静かに決めなければ。

 

 

 

いまのわたしのきもち

 

怖いな、ずっと、人に負けることが、劣等感を抱くことが。

いつも自分のこと責めてしまって、責めたつもりになって、苦しい。

 

いま彼氏とちょっと良くない状況で、まあ少なくとも良いとは言えない状況で話をしていたんだけど、私が一番嫌なのは自分のすきな人と別れることなの。

 

何が嫌かって、別に多分別れることではない、いつかまた恋できるし、私のことだし。

じゃなくて、次に誰かと幸せそうにしているのを見たくない。

すきな人が他の人に取られるかもって瞬間が一番つらい。

だから、もしすぐ誰かと付き合われたって何も思わないくらいすきじゃなくなってから別れたくて、それでいきなり別れを告げられることを恐れてる。

 

「別れる、って言葉最近よく言うね」

なんて、言われたくなかったなあ。

本当はずっと思ってたよ、いつでも保険かけてる。

それだけ、人に劣等感を抱きたくない。でも恋愛で劣等感なんて感じるのは手段と目的が反対になっているから、あと自己肯定できないから。

 

手段と目的が反対になっている話。

みんなどうして付き合うんだろう、私はいつもすきな人を独占するために付き合っている。

「一緒にいて楽しいから」とか、理解できるけど超怖いな。

楽しくないときってなんて思われているんだろう、楽しさが減ったらだめなんだな。

ああ楽しくできないの自分の力量不足で、あの子だったら、とかそんなつまんなくてどうしようもないことを考えてしまう、そこまで楽しさを提供したいと思っていないからそうなってしまうんだけど。

「一緒にいて楽しい」ほど自己中心的な言葉はないんじゃないの、ねえ。

あなたの人生があって私がいるんだろうね、そうだけどそうじゃなくて一緒に振り回したり振り回されたりしたい。

 

思えば、合ってないと思う、

私は適当でちゃんとできないし、感性的だし、しゃべりながら考えるタイプだし、すぐ誰かに相談するし、恋愛すきだし、すきな人とは近くにいたいし。

けどそんなのぶっとばしてすきなのにな。

 

絶対後悔すると思う、彼は私の存在を過小評価しすぎ。

絶対そう、って思いつつ最近の態度を反省する。

言いたいことぜーんぶ何も考えず言ってしまったし、自分の機嫌すらとれなくてとってもらおうとばかりして、彼の話も全然聞けなくて、楽しそうにしているのを全然喜べない。

もう敵になってしまったのかもしれない。認められるべき、認めさせるべき、競うべき敵。

 

そう、たぶんどこかで認められたいってやっぱりずっと思ってる。

今私が大企業行かなくてもいいやとか志が大事だろとかそんな事思っているの、自分の成長だと思っていたけど全然違う気がした、全部彼の価値観だ。

彼がいなくなったらどうする?私本当に志で生きていける?

私の価値観って何?私が恋愛で大事にしてきたことって何?守れてる?

自分らしくいられてる?必死になってない?って自分に問えば、

到底自分らしくない気がする。それが彼から見たらつらそうということなんだろうか。

褒めてくれるひとといればいいのかなあ。私は。そうでないひとばかりすきになるのに?

 

まで書いて寝ていたので、とりあえずあげておく。

まとまらないのもそれはそれ。

せいふくしょうじょろん

湿度は高いがさらっとした風が吹く、晴天、27℃の6月序盤。青々とした緑を嬉しく思う。

久々に友人に会うかもとすこし時間を余分にかけた装いで母親の車から降りる。

駅前や駅のホームには夏用のベストに腕をまくった少女達。

と、1時間に1本の電車を共に待つ。

友達と他愛のない話をする子、携帯をずっと見つめる子。

数年前の私とてこの少女達と変わらない。

 

狭かった。視界が、世界が、規則が。

希望しかないようで、描ける未来は陳腐で小さかった。

キラキラ輝いているようで、他人の目ばかり気にしていた。

自由が増えたようで、まだ子どもだとずっと言われ続けているようだった。

 

"高校生" "青春"というレッテルを貼られていた。

電車に乗れば同じく"高校生"と目が合うし、社会から見れば"女子高生"だった。

制服を着た同年代の人間が仲間で、でも制服が違えば他人だった。

部活は?恋愛は?文化祭は?勉強は?

そんなことばかり聞かれていた気がする。

すこし話しただけの同級生の休日をSNSで見て、真似してみたり、貶してみたり。

SNSで頑張ればインスタグラマーだと言われ、すこし目立てばなにかしらの評価をつけられた。

全然、自由なんかじゃなかった。

 

再現不可能に思える時間がたくさんある。

違うことをしているのに大体同じ時間に終わる部活、そのあとに合流して食べるファミレスのご飯。

休日、砂と太陽の日差しに揉まれながら夏バテし、帰りに食べるコンビニのアイス。たまに31のやつ。

45分間の昼休みに外にレジャーシートを引いてお弁当を食べながら撮った自撮り何百枚。

気になる人を購買で見つけてときめく昼休み。

文化祭でみんなでおそろいのTシャツを着て準備するあの期間。

2期制のおかげで4回もあったテスト期間にする通学時間の詰め込み暗記。

長い通学時間のために用意したお決まりのプレイリストをかける時間。

懐かしくて、恋しくて、生き生きしていた。

あれが世界だと思っていたしあれが世界だったし、とても楽しかった。必死だった。

いま同じことを、同じひとと、同じような気持ちでやろうということはできるけども、多分、悲しいことにそこまでたのしくはない。

経験で得た広い世界、経験で変わってしまった自分の心。

 

ずっと必死だった。

友達と笑うこと、ボールを追っかけて勝負すること、人から好かれること、すきな人をすきでいること、かわいくなりたかったこと、テストでいい点をとること、学生だからと無茶をすること。

必死で、窮屈で、たのしかった。

 

周りの目が気にならないように、周りの目を気にしながらイヤホンをつけて携帯を見つめる彼女達。

彼女達も必死に今を生きて、次は自由に解き放たれてしまうのだろう。

自由に解き放たれたとき恋しく思う窮屈であんまりで輝いている日々が、日々を、彼女達が紡ぐことを願う。

ぜったい

 

絶対忘れたくない5/31。

 

超悔しい、

こんなにずっとフェルミもケースもやっていてできたのに、自信がないだけで、感情が左右されただけで、焦っただけでこの結果。

 

だけでとかいったけどすべて私の責任。

絶対直すよ、絶対受かってやるの、絶対冬で受かってやる

絶対戦コン受かってやる、頭いいひとなんてしぬほどいるけどばかなひともしぬほどいる。

そんな中で私はなあなあじゃ終わりたくない、絶対私ならできる、私を取らなきゃ損だと思う。

絶対できるのに、絶対わかってもらいたい。

 

私にとって大切なものは刹那の幸せや快楽ではない、ずっと努力したら自己研鑽の先にある輝かしいみらいだとかそういうものだ

だから、テニサーなんて全然おもしろくなかったし、真面目なサークルに入っていれば良かったと思う。なんで真面目でリーダーシップのある自分を隠したんだろう。私の強みなのに、私らしさなのに。

しょうもない理由や価値観にまみれて隠してしまったことに後悔。もっと私らしく、私の価値観を大事にして良かった。それが私にとっての何よりの幸せだった。

今とて同じだ、一時の快楽を求めて酒を飲んだりすきでもない男と忙しい時期に会うなんて。

そんなことより本を読みたい、勉強したい、すきな男と頑張りたい。

ちゃんと大切なものを大事にしたい。私の人生で大事じゃないものはちゃんと断れるようになりたい。

 

合理的だとかつまんないとかいったけどそうじゃない。

自分にとって大事なものを貫くこと、大事なものを大事にするために頑固になること、自分の大事を守るために必死になること。

当たり前で、純粋な幸せに向かう気持ちだ。

 

自分のすきやたのしいに向かって一直線で、結果を出せるようになりたい。

そのための努力をしっかりする、苦手なことにも目を向ける、嫌な自分に目を向ける。

しっかり向き合え、向き合おう、強くなろう。

 

忘れない5/31にしよう。

 

 

よなかにたべるはーげんだっつ

最近唯一リラックスして心から楽しめる時間は元カレと散歩しながら話す時間。こんな風に一緒に過ごすなど考えたこともなかった。

 

pm7:00に「今日散歩?」とひとこと送る。

「いいよ」っていってくれるのもなんとなく分かってる、何時でも私に合わせてくれるところが彼氏と違う。

 

手を振っても振り返してくれない、けれど律儀に乾杯はする。

否定されないという安心感、話す内容は他愛もないけど柔らかく受け止めてくれることに安心する。

 

恋愛の話になって彼は言う。

「タイプの人じゃないと愛がないんだよな」

「マイヘアみたいじゃん」

と返す。

愛ね、愛か、彼の口から愛という言葉が出るとは思わなかった。

まあそっか、もうあの頃から6年くらい経ってる。

 

昔の思い出話をしながら歩くと公園にたどり着く。

ちょっと寄ろう!くらいのノリで入った広い公園の一角にきゅっと集められた遊具が懐かしくなって、子供の頃に戻ったようにはしゃぐ。

20歳にもなると、公園で遊ぶとかそういう変哲もないことも、夜だから何も見えないからできる特別なことになってしまった。

白黒の反転するパーツを裏返したり、滑り台を滑ってスカートを濡らした。

彼は網のピラミッドの頂点が気に入ったようで、私が少し遠くから見上げたシルエットが綺麗だった。

思い出ばかり出てきて何も考えずに笑える時間が楽しかった。

 

また歩き始めて、大学生らしい話をする。

彼にもそんな側面があることにすこし驚きつつ、変わらない感性に安心する。

私も変わってしまっただろうか。6年もすれば人間は環境に揉まれて変わっていく。

今の恋愛の話になると、変わってないなあと思う。

めんどくさがりなのにちゃんと相手を思うところ、穏やかなところ。

私は順調だよと答え、2人で恋愛って難しいねと陳腐な結末で締める。

あの頃とは違って家の前まで送ってくれるようになった。お互い年齢を経ていることを感じる。

 

浮気されたどうこう、大したことでもなかったのに騒いでたあの頃の私はこんな6年後を想像できるはずもなかった。

成人式マジックなんてものはなかったけれど、もっといいものを手に入れられた気がしてる。

 

こういう人生の絡まりとか偶然とか、ふと思い出す記憶みたいに必然に感じられる飛躍がたくさんあればいいなと思っている。

こういう物語を紡ぐために生きている節が私にはある。

にんげんとしてよくあること、べつのにんげんであること

1つ前に書いた記事の日本語が乱雑すぎて笑ってしまった。

今悩んでいる全て、考えている全て、大きな一つの弱みに帰結する。

なぜ強みを探しているのに弱みに行き着くのかわからなかった。それは強みを探せない理由が弱みだったからだ。自信がないから、人に言われた強みもビッグファイブ診断も信じられない。他人と比べて劣等感を抱くから信じられない。自信があれば、悩みがほぼ解決することがわかっているから弱みに行き着くのだ。

自己顕示欲はそこまでないし、自己効力感はかなりある。だから自己肯定感が低いわけではないと思っていた。けれど結局そこなのだと思う。自己肯定、自己受容が出来ていない。自分はなにかしなければ愛されないとか、なにかしら良い自分であることで愛されてるとか、私の考えなんて世間の中の狭い見方でしかないしとか、絶対的正解なんて出せないしとか、そんなことをずっと思ってた、心のどこかで静かに。そうじゃないと教えてくれた友達や、悩んでいる時に電話をして自己肯定について5つの言葉を教えてくれた友達、私の考えはだめじゃないと言ってくれた彼氏、私の劣等の根源に気づかせてくれた元恋人、色んな人や自分のおかげで気づけたのでひとまず感謝しなければいけないと思っている。

話が逸れた。自己肯定感が低いのをやめるために必要なのは、より見た目を磨くことでも、憧れに近づくことでも、こだわりを持ちすぎることでもなく、自分を責めないこと、自分を疑わないこと。書くと薄っぺらいけど、難しいと言うか、真に理解するまでだいぶ時間がかかった。

何かがができない自分、小さなことで腹を立ててしまう自分、ちゃんと出来ない自分、優しく慣れない自分、いい彼女であれない自分、どうしたらいいんだろう、どうすればよくなれるんだろうってずっと思っていたけど、それを考えるだけきつい。目的を明確にして、私が考えたようにあるだけ。怒りたかったら怒ればいい。怒ったことで起こりうるリスクを回避したければやめればいい。無視したかったら無視すればいい。

仕事で失敗したら、謝って、次からどうするか決めて、あとは気にしない!
20代に必要なメンタリティは、この図太さ。

ミスしたってその分成果出せばいいし、ごめんなさいってして改善すればいい。改善だって一気に出来なくたっていい、少しずつでも改善して、いいところでバリューを出せばいい。それでいいじゃん、評価されなくたって評価されようと頑張るよりきっとずっと楽しい。

私はこう考えるけど本当か?そんな私が簡単に出した答えや感覚であってる?断言できない、私はできないんじゃないか、私は無能なんじゃないか、大したことない人間なんじゃないか、なんで過去にああいう選択しかできなかったんだろう、やっぱり優秀な人って自分を違うんじゃないか、越えられない壁があるんじゃないかって思ってたけど、そんなことない。し、そんなことないって信じていい。信じた先になにかがあるのよ。全ての成果の前には尊大な自意識が、健康な思い込みがあるのよ、それこそが原動力だ。私の考えたことが今の私にとっての正解。他人の言動や今後の私の考えがそれを揺るがすことがあったら、そのとき考えて納得したら変えればいい。望むならそれを実現すればいい。私はできるよ、私はすごいよ、絶対そうだよ、何があろうと私は最高だもん。みんなもみんなで好きに生きればよくて、それは認めてあげないといけなくて、そのかわり自分も自由でいよう。期待というか、人に対して傲慢にならないこと。こんなの許してくれたっていいじゃん、しょうがないじゃん、ってそれは私の傲慢なわけで、私は自由に生きるからあなたも自由に生きてね、一緒にいて楽しい内は一緒にいようってそれでいいんじゃなかったっけ。

 

女のマウンティングについて書かれたブログ記事で、

 

いやこんな一人の友達に関してここまで感想もつとある?俺が男だから?これが女性社会では普通なの?

いちいち他人彼氏が出来たり別れたことに一喜一憂して幸せなのか?

これはもう百合なのでは?そんな気がしてきた。

 とコメントがあった。

はっとした。そういうことか、彼氏に感じる無関心さ。男性って、無意識レベルで養うとかそういう責任感がある。と思う。だから結局自分の力がないと、自分がどうあるかが全て、という感覚なのだろう。女性でもバリキャリってこんな感じな気がする。男性に比べて感じる己の甘さってここなんだろうなと言う感じ。誰かに助けてもらうこと、どうにかなること、何かで許してもらうことを願う感じ。それが甘いんだ。人間としてよくあろうとしたときに他人に頼らない、別の人間であることを認識するのはまあ普通のことかもしれない。私はそうなりたいとか他人を切り離したいとか思わないけど、1つその視点は頭に入れとかなくてはと思う。(ちなみに、自己肯定感の低さに気づかず他人をおろそうとしていた私だったら、「他人を切り離すのは違うと思う、未熟だ」と述べたと思うので成長を感じた。)

と思ったが、

toianna.hatenablog.com

この記事を読んで、私が甘いわけではないのかもしれないと感じた。そこに関して議論を始めると望まぬ方向に行きそうなので割愛するけど、優秀な人が集まる会社には男性が多い。いまだそうだろう。説明会をみても男子学生が7割ほど。そんな中で女性的な考え方(つまり彼らに理解し難い考え方)が評価されないのも納得だ。別に私が悪いとかではなく、パワーが誰に有るかという話かもしれない。女性優位な社会になったら違う気がする。まあ女性はライフスタイルの多様性が半端じゃないのでそこへの甘えは多少なりともあると思う。なので、まあ今は男性に合わせた考え、甘さをとった考え方を身につけるのは得策だと思う。

 

以上で近頃の思考整理とする。最近はひらめきが多いなあ。ありがたい。

経験が思考の深さを作る、私は経験が足りてないので辛くてもある意味願ったり叶ったりなわけで。

じかんとなれ

 

凛としている人間になりたい。ずっと、どこにいてもそのひとらしくしゃんとしてる人に憧れる。私はずっと違かった。ずっと承認を待っていた気がする。誰かからの、なにかからの。いつでもずっと。だからそうじゃないって決めるのすら怖い。今までの人生、とか合理性のないことを考えていた。「できなくて情けない」じゃない、「教えてくれてありがとう」なだけだ。悪くないよ何も。

他人は結局他人なのだ、課題の分離、なんでできないの。とかこうやってすぐ自分を責めて分かっている気になってストイックになっている気になって泣いてる、こういうところが甘い。嫌いだ。たぶん、自分に甘いところがずっと嫌いだ。嫌いじゃなくてそれが私のかわいさだとかいいところの裏返しだと思ってた。だからずっと一緒にいたんだ。だけどたぶん一番嫌いだった。私が一番私の甘さを嫌ってる。

自分で考えきれないところすなわち自分に自信や心がないところ、目標すら他人依存だからモチベーションが続かないところ、承認を求めているから競争に飲まれるところ、結局なんとかなると思っている人に助けてもらえると思っているところ、他人にいい顔しているだけで人気なふりをしている軽薄なところ、さっきも言ったけど自己嫌悪みたいなアピールをするところ、中途半端なところすなわち中途半端にプライドが高いのにやりきらないところ、でも直すなんて辛くてできないとか甘いこと言ってるところ、過剰に自分を卑下するところ。ぬるい、自分のために生きてない。覚悟が足りない。

幸せになりたい、お金持ちになりたい、全部欲しい、本当か?

そのためになんでもできるのか?そうじゃないくせに言ってるからこんなんになる

泣いて伸びて、泣いて伸びて、その過程はもう甘い。

人に決めてもらう、示唆をもらう、断言してもらう。甘い、だから承認を求める。

自分で決定し、自分で行動し、その結果の責任は自分で取ると決めていない。だから甘っちょろくて自立していない、凛としていない。

別に私のことを責めているわけではない、あなたは無能ではない、無力じゃない。

あなたの中にあるものだけがあなたの資産で、それさえあればなんでもできる。

他人と比べないでね、それはあなたの勝ち筋ではないから。