制服記

シティガールたちよ。

ぴすたちおいろのはたちへ

 

何をせずとも輝く天才的な才能があるわけではない

何にもなれなくていいからと言えるすきなこともない

どうしてもこれだけはと執着したいものもない

ただ焦りのみ。

 

いくら愛に生きると豪語したって、きみだけに捧げられない。

「きみがいればなんでもいいよ」とか言われてみたい、けど言えない。

自分だけ見てればいいよとか言われたって、ひとりじゃ生きていけない。

自由なきみをみているのがすきで、いつでもどこかにいきそうで怖い。

 

世界を知らないでのうのうと生きているのが耐えられない

ただ、世界を知って思考に揉まれても突き通すだけの自我はなかったというだけの話だ。

考えるのがすきだなんて嘘、なんでこんなに思考してしまうんだろうか

執着したくない、穏やかに生きたい、と言いながら爆発的な希望を探してる。

ごちゃごちゃ言ってないで何かに執着してでも前に進めばいいのに。

とかいくら書いても納得できない。

 

無力で、非力で、現実は厳しくて泣きたい。いっそ私の価値を誰かに決めちゃってほしい。けど、どうせ誰に決められたって納得できない、私がいいっていうところに行くまで納得できない。やるしかないやるしかない、目の前のことやるしかない。そういえど隣の芝はいつも青い。

そいみるくはあんまり

 

新年、久しぶりにおめでとうが言えない年だ。

 

去年はすきなひととたくさん会った。

彼のことたくさん考えた、振り回された、たくさん寂しさと孤独を感じたし自分の弱さを知った。

あのひとと何度も会えた、ずるいなと思っていた彼は思ったより優しくて、理解できなかったのに人間味を帯びてきた。

 

自分とよく対峙した。

人を真剣に愛そうとすればするほど、自分の弱さや醜さや強さや愛情深さやエゴがみえた。

ひたすら考えているつもりだった、けれどその一部はただのうつ的感情、またある一部は思考が混沌としているだけだった、悩むのではなく考えるのだと学んだ。

 

焦った。

私らしくもなく、計画的だとか、効率的だとか、間に合わないと怖いだとか、そういう観念に脅迫されて勝手に焦り、八つ当たりして、人を羨んだ。私の得意はフットワークの軽さと行動力でもあるのだし、余裕がなくてひとに優しくならない自分が嫌だからもっと気楽に生きる。楽観主義万歳。

 

あとは服装の好みが固まって自分をよく見せて自分がすきな服装ができて楽しかった、自信がすこしついた、知らない人からの承認とか男の子から向けられる視線がどうでもよくなった、それと私に興味ない人間のことはあまりすきじゃなくなった、人間の醜さやエゴをみて落胆した、愛することをほんの少しだけ学んだ、長期的視点で悩んだ、自分の感性に従うことを学んだ、自分で考えることを学んだ、無駄な浪費は減った、勉強しようと思うようになった。

 

去年なんとなくインスタの投稿に添えていた目標が今年意識したことと大いに繋がっていたから、今年も何かふわっと決めておこうかなあと思い今年の目標を立てることにする。

 

そうだなあ、もっと気楽に楽観主義で、もっと余裕をもって自分も人も不完全さも許して、もっとやさしく。

そして凛としていたい、文脈化できるひとでありたい。

あんまりここに囚われることなく自由に自分の思うようにやってくれ、今年も。とは思ってる。

年始のこの何か始まりそうな予感、穏やかな雰囲気、気の引き締まる空気がだいすき、また一年たのしく思いっきり私を楽しめますように。

 

 

やがてかなしきおんなのこ

 

人と暮らすのは合ってない、いつか住むのもすきな時間に起きてすきな時間に寝れる住居にしようと決心した。

 

しょうもないような日常と、見えない絶対と、堕ちきれない人間と、持つしかない希望。

なんてことなく使っていた虚無という言葉の語法はあながち間違っていなかった。私の表す心情は虚無だったし、現代人の普遍的病理だったわけだ。

 

地元は退屈だし、ゆるい絶望の中で生きるなんて絶対嫌だし、先は見えなくしておきたいし、女の子は危うくて素敵だ。

 

悶々とした小説を読んだ、救われないやつ。

都会への、地元を離れない人間への、セックスへの、あるいは自意識への執着。

あとがきを読んでいるころに、女の子から「元カレが結婚した」というLINEが届いた。

このあとがきはすきじゃない、もっと主観的にしてくれ、もっとどろどろしてくれ。

 

女の子は黒を人生の序盤で覗きみる。

その汚さを認め、足を突っ込んで、それで這い上がって生きていくんだから、強くてかっこよくてどうしようもなくて情けなく弱くて愛おしいんだよなあ。

 

 

しんやいちじ、がいとうのしたにて

 

どうせ、どうせ二の舞だ、このまえの悪夢と一緒だ

 

酒にほだされていい気分になるとわからなくなるんだ、誠か嘘か

いや本当はわかっているはずで、見ないふりをしているだけで、それはそうと割り切るべきなのに

誰がいようと、とか、誰よりも、とか、そんなの嘘に決まってる、それよりなにより私が嘘だ。

いま手元にある物が大事、それでも人に求める、そんな求め方が誠実なわけないのに、それでも、ロマンスをみれるひとを探してる。

そのロマンスは虚構だ、性欲だ、都合上の理由だ。

わかってるはず、もう学んだはず、それなのに、同じ手法で、また騙されそうで、そんなよわいじぶんも、しょうもない思いも、それに比較してどうしようもない無条件の愛情も、情けない、ずるい、嘘っぱち。

私の愛おしくて憎い彼を、そんなもんじゃん、と一蹴してくれたのが、嬉しくて甘えたくなったの。

しみるさむさをしろでけす

 

無数の提灯が扉を隔てて光る。提灯そのものか、宿された祭りの記憶か、なんだか心を軽くしている気がする。

 

私は、変われているだろうか。

 

生まれ育った土地からたったの2時間離れたところに新しい小さな家を持った私は、1ヶ月に1度くらいは実家に帰っている。

10時間の夜行バスを経てやっとついた土地は、県1番の主要駅の周りさえいくつか商業施設があるくらいで、もうほぼ把握してしまった気持ちになる。

なんとなく、愛着を覚える土地だ。

 

寒さも桁違いで道路の端には雪が残るここで、もうそろそろ2年を過ごす彼女は楽しそうだった。

高校の頃の純粋さは変わらず持っていてくれて嬉しい限りだけど、強さがあった。

地元から異国に渡れるほどの所要時間がかかるここで、まったく0からの人間関係を築き、自分のやりたいことに向き合ってきたんだろう。

なんの屈託もなく、たのしいよ、と夢を語る彼女をみて心底安心した、すごいと思った。

 

「やっぱり趣味の話とかは大学の人の方が、ほら、業界用語とかあるじゃん、だから話しやすいし楽しいよね」

といわれた。

業界用語は使わず私に自分の最近のことや夢を話してくれた優しさ、0から始めた2年間の関係を素敵だと断言できること、強いなと思う。

 

最近男と別れたあの子も、ここにいるあの子も、強くなったようにみえる。なにかが、変わっているように。

この手先が一瞬で凍える寒さに鍛えられて、強くなったんだろうか。

私は、変われているだろうか。

生温い都会に揉まれているだけだったんだろうか、などとつい考えてしまう。

 

 

 

まいにちをたのしくいきるちょっとしたこつ

 

というタイトルの記事をみるまえに自分で考えてみようと思って書いている。

 

最近、失望、あきらめ、自分の弱さ、そういうものと向き合って出た考えとしては、自分を誰より尊重し、自分に夢中になること。

 

楽しく生きるコツ、というより安定して楽しくいるための必須条件という感じ。

 

どれだけ素敵なひとが、素敵な関係が、最高のものがあっても、自分が1番でないといけない。

これはみんなに適用されるわけでなく、私はそうだ、というだけの話。

信じて、裏切られて、また信じること。ドラマチックで刺激的でつらい。

結局きついときに私を支えてくれるのは、フラットな感情と、私なら大丈夫、という心意気だけ。

裏切られたあとのフラットな、すべてどうでもいいような投げやりな、全部私次第と希望がある、淡々としたあの気持ちこそ本物な気がする。

楽しくいるなら、執着してはいけない、縛られてはいけない、比べる意味はない、自分であらなきゃいけない、自分であるのが1番いい。

うらやましいあの子も、愛しくてずるいあのひとも、尊敬していて嫌いなあの彼も、そして私も、全員いやになるくらい人間だ。人間臭くて、自己中心的で、矛盾していて、悲しくなるくらいに人間。気持ち悪いけれど、だれも完璧にはなれない。

 

概念的な嫌い、執着的な愛、否定的な比較、自暴自棄的なやさしさ、尊敬のない恋心。

全部、全部きらいだ。どうしようもない。そんなもんかもしれない。

いつでも私を救うのは私だし、私の希望だ、それだけ。

あのフラットな感情こそ、至高だと思う。私が嫌う自分勝手さこそ、憧れられるものだと思う。嫌いでも、やらなきゃいけない。自由にあること。自分であること。誰にも縛られないのがみんなに愛されるコツか。評価されたくない。いつだって評価される社会で生きてる。自分を殺せたら私のすきな私でいられるのに。でも俯瞰なんて陳腐だ。

「成功する秘訣は真実から目をそらさないこと。」

残酷で、シンプルな、一番の心理かもしれない。素直に歪めたらいいのに。

 

 

 

つかのまのぜつぼうをあいして

 

冬の気温と湿った空気じゃ、どれだけ外にさらしても洗濯物が乾かない。

 

もしかしたら、という不安が頭をよぎる。

彼らより優れた気でいた私は、ただ本音で傷つき考える機会を失っていただけかもしれない。

俯瞰なんていらないものなのかもしれない。

私が信じているすべては凡人向けのものかもしれない。

天才になれないかもしれない。

ロマンスなんてなかったのかもしれない。

自分が持っているものなんてみんな持っているのかもしれない。

天才とはああいうことをいうのかもしれない。

私が語るすべては誰かが語ったものかもしれない。

私がみている世界なんて狭くてどうしようもないのかもしれない。

私が描くストーリーなんてただのおままごとなのかもしれない。

ただ執着しているだけなのかもしれない。

所詮、こんなもんかもしれない。

 

ひとつ、現実を突きつけられたら、執着しないでいられる気がした。

あんなわがまま、ただの甘えだった。

いつでも、離れうる。いつまでも一緒に、とかいって束縛しているいまは何だ。

願っても祈っても思っても伝わらないことがある。

日常とは残酷だ、平気な顔して現実をいきなり突きつける。

 

もう、最初からどうしようもなかったのかもしれないなんて、スタート地点を見比べて絶望してみる。

まるで運命づけられたような、もはやそうなるしかなかったような立派らしいストーリーを描けるひと、どこまでも自由で、甘ったれた夢をみるひと。

どう落ち込んだってどう絶望したふりしたってどれだけ自虐したって自暴自棄になったつもりになっても私にはできないことがある。

私は、絶対に私でしあわせになることを諦められない。どうせ泣いたら前を向く。