制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

違和感を感じるもの

 

やっと、やっと約1年続けたことに区切りがついた。

とはいえ、まだ続くには続くんだけども努力の方向性が変わるので、一区切りには違いない。

自分に欠けていた論理性を埋めるに当てたといっても過言ではない1年の反動と、そしてクリエイティビティの復活を求め、文章を書くようにしようかなと思って久々にはてなブログを開いたのでした。

 

これから受けようかと思っている企業の、昨年のエントリーシートの設問。

「世の中や身の回りにおける、あなただけの「違和感」を教えてください。その違和感に対して、あなたはどうしたいですか?」

まあそれはそれは、みなさんクリエイティビティ溢れた文章をお書きになられていてビビるけども、手慣らしということで好きに書こうと思う。

 

 

「タワマンが幸せの象徴か?」

酒。タバコ。これらは社会によい影響を及ぼしているだろうか?駅にデカデカと貼られた子供の手書きの「よっぱらったら、何をしてもいいの?」という文字や、昨今のタバコ嫌"煙"の風潮を見ても分かるだろう。社会全体の視点で見れば、酒やタバコは悪なのだ。さて、それではなぜ禁止されていないのだったか。大麻が日本で禁止されているのは大麻使用者が事故を起こす可能性があるから、なんて誰かが言っていた気がする。これらが許されている理由、私は「人間が旨味を知ってしまったから」だと思う。夜間工事現場で働くあんちゃんも、国を動かすおっちゃんも、バリバリ働くキャリアウーマンも、家事育児に勤しむ主婦も、みんな、酒が、タバコが好きなのだ。それぞれの世界を動かす「人」をただの動物の「ヒト」に引きずり落とす、そんな甘美な「快楽」に、人間は逆らえない。逆らえないから禁止はせずとも、とりあえず悪ということにしておく。一方、世間が奨励するのは、タワマン、美人な妻、ブランドバッグ、高級外車。それらを手に入れるお金が必要だから、怠惰を、快楽を求める心を抑えて働く。そうして手に入れるのは、承認欲求という「快楽」?人間よ、「人」のフリをするんじゃないよ。人間よ、僕らは一介の「ヒト」なのだよ。

 

 

「多様性」

私の彼氏は立派なリーダーだ。社会貢献のために無賃労働も厭わない。マネジメント経験も、勉強量も豊富。彼は、立派なリーダーなのだと思う。それでも、私はそんな立派な彼の言う「多様性」に反論したい。彼は理路整然としていて、いい意味で鈍感なタイプ。一方、私は直観的で、色んなことを気にするタイプ。お互いの意見がすれ違うとき、彼は決まって「ごめんね」と言う。それは「分からなくてごめんね」であって、「じゃあ理解を試みるね」とは一切言わない。私の考え方は彼に言わせれば「まったく想像しない」ものらしく、彼は私に「嫌なことは教えてね」と言う。彼は何も分かっていない。私の考え方をすれば、嫌だと思ってもすぐ相手に言えないのである。ただ、そんなこと彼は分かってくれない。多様性とは何だったか。多様性とは、相手の感じ方、思想が存在することを、そしてその存在を認める行動を取ることではなかったか。「分かっていないようだから伝える」が出来ない人間がいることを認め、一言かけることではなかったか。「多様性」はそんな綺麗なものじゃない。「多様性」とは定義を議論し続けるものじゃない。「多様性」とは、「自分と相反するものを、自分には理解できないものを、認めていく姿勢を取る」、そんな自分との泥臭い戦いなのである。

 

 

うあ~書いたはいいが長い。

なんだかんだ、私は社会へのヘイトが溜まっている人間である。

社会だけじゃなくて、色んな事に小さなヘイトを抱いているらしい。

特に覚えていなくても、関連する話題が出てくると浮かんでくる怒りや悲しみがある。

自覚していなければいないほど、乱雑に言葉にしてしまうからよくない。

なんならちゃんと自覚して、言葉を選んだり口をつぐんたりしたい。

 

疲れた。疲れましたので、終わります。は~腰が痛い。