制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

いつまでもこどもでいてよね

小悪魔って、無邪気って、こどもっぽいってことだ。

よく考えてなくて、気分屋で、自分に正直であること。難しい。

 

小さな裏切りばかりの世界だ。

「小さな裏切りを経験していくことが大人になるっていうことだ」って文章最近見たの。まあそんな感じがする。

 

私の理想100%の人なんていないし、私のあこがれの人はあこがれの人を通してみる私の理想。

信頼している友達や先輩にも手を出されるし、酔ったらスキンシップとられるのもうんざり。

なよなよしてたら「そんなんじゃ」と言われて、救ってくれるわけでもない人に「弱みを見せなよ」って言われることにナルシシズムしか感じない。

 

いま私は大人になりかけの人間である。

確立しているはずの「自己」にこだわってしまうし、私のことなんて何もわかってなかったし、甘ったれてるこどもである。

ある程度のことは自分でやって、1人で暮らして、人に褒められなくてもそれなり楽しく生きてる大人でもある。

 

大人だから、「ねえ私こんなところがあるの、それでもいいかなあ」って泣きついてももう浅ましく見られるだけだから、自分のこと俯瞰したように話して相手から批判されないように取り繕わなきゃいけないの。

失恋したら人前で泣いて、悲しいことがあったら酔って泣いて、そんなことができる女の子を軽蔑して、そして、本当は彼女たちが強いことをどこかで知っている。

自分の悪いところを人に指摘されないように必死だなんて、強く見られようだなんて、なんて弱いんだろう。

 

信じたいから信じたら「信じるからだよ」って言われるのも分かる、「みんな頑張っているんだから」それはそう。

それでも私のなかの何かがずっと拒否している。信じたい、褒められたい、認められたい、愛されたい、必要とされたい。まだ幼い私がずっと言っている。

 

恋人にすべて頼りたい、と思う気持ちがとても良く分かった。

だって、100%の弱みを見せたい相手なんて、それでも認めてくれる相手なんてそうそういないのだ。

弱みを見せるのははずかしいし、それで分かったようにアドバイスされるのはもう飽きた。生きていたらそんなことばかりなのだ。いつから、私たちは、計算された言葉を話すようになった?悩みを話したら聞いてもいないアドバイスをくれる、選択に迷ったら相手なりの正解を提示される。こう動くように、こうやってほしいんだろうから、そんなの勝手なエゴだ。といいつつ現在進行系でそんなことをやっているから最悪だよ。

 

きれいなものだけみたいなんて一切思わない。

汚いものを知って、認めて、内包して、それでも前を向いている人にずっとなりたい。

多分そういう人はかなり無責任で、無責任にやさしいと思う。そういう人と一緒にいたら、今の自分なら確実にだめになる。

適当でありたいなあ、正義を持ち出したらおわりだ。正義があるからつまんないっていっていたひとに仕事上の正義をめちゃくちゃ押し付けられて最悪。つまんねえよそれじゃ。

誰も裁かない、自分も、相手も。

多分それは1番無責任、1番自己責任、でも自分に対しては誰よりも覚悟をもっている。

そうありたい。自分のことだけを、自我に執着せず、雑に、適当に、効率よく。そんな人間にずっと憧れているこの3年間だ。