制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

もったいないでいきたかった

シンプルってそんなに正しいか?

 

ビジネス書だとか指南書だとかそういう類はどの本を見ても、シンプル、シンプル、言っていることは全部シンプル。

問題をとくときには複雑なままでは解けないよ、という当たり前の話か。

ただし、複雑な感情はどこにいくんだ?感情はいつだって複雑だ。

 

感情がノイズだという。人間という生物がそれ自身の社会の発達についていけていないから生じるものだという。

はあ、そんなものか?私が21年大事にしてきたものはノイズか。

確かに、感情がアイデンティティだったら、同じ感情を抱く友人は私そのものだ。だから私は「わかる~」と言われるのが嫌いなのだろうけど。同じ場面に遭遇したとして、同じ感情をいつでも抱いてくれる人間はいないから、それがアイデンティティとしてもいいけど、やっぱりそうなると感情っていうか感情を発生させるバイアスにこそアイデンティティがあって、バイアスとは経験から生まれる気がする。

じゃあ、感性がアイデンティティだとしよう。そりゃあ中学生の頃の、下北沢とWEGOを同時に愛していた感性はてんで理解できないけど、あの頃があって今の私のセンスがあるからやっぱり私のアイデンティティに近いと思った。でもそれって、感性そのものが変化するということを意味していて、変化させているのはやっぱり感性に従ったり、従わなかったり、誰かの感性を真似した、経験なのではないか。経験じゃん。生きてきた時間をどう使ったか、それがアイデンティティか?

 

それなら生まれたばかりのこどもはどうなる?

彼らは経験など持っていない。もっと年を経たとしても3歳くらいまでの経験は、誰かに加護され生きてきた、とくくれば全員同じだ。それでも性格や感じ方や嗜好に違いが出る。そうなると遺伝子なのだろうか。そうすると双子は同じ性格なわけで、結局遺伝的要因×環境的要因の掛け合わさったものがアイデンティティであるというなんともつまらない話になった。最悪だ。真実がただしいことを自分の思考で証明することほど私のアイデンティティが傷つくことはない。私のアイデンティティとは、思考方法とか感性とか感情そのものだと思っていたから、誰かと、ましてや世間と同じなんてまっぴらごめんなの。そう思ってたのよ。

 

同じ遺伝と同じ環境を持ってれば同じ人間なのかよ。いやそうか。まあ絶対ありえないわけだけど。双子は相当似うるんだろうなあ。でも全く同じにはならないんだろう。そもそも遺伝子が全く同じにはならない時点で。

 

結局親と自分の環境を愛するしかなくなってしまう。誰からも自由でいたいのに、自分を肯定するには親や自分の環境を肯定しなければならない。自由でいたいのに。ああそうか、思考や感情を拠り所にしていたのは、自分という存在を自分だけで成立させたかったからだ。

多分私が地に足がついていないのはそういうわけだ。自分を成り立たせてきたものを、自分の元を、軽視している、軽視したいから。だから、諦観したふりをしてもずっと子供っぽいところがあって、リアルに弱い。リアルを無視しているから、リアルに弱い。このまえ付き合いの長い友だちに言われた「どこか行っちゃいそうだよね」って、あっていたのかもしれない。なんのことかわからなかったけどそういうことなのかもしれない。

でもそれでも、地に足がついた人間になりたいと思えない。リアルを見て、自分という存在の脆弱さと社会性を理解して、それでも自由であらなきゃいけない。もう自分の脆弱さと社会性を理解した時点で、地に足がついてしまいそうだ。

重く、べたべたしていて、つまらない。守るしかない。そんな人間に絶対ならないって思うのは、母親は私にとって反面教師なのだろうか。

幸せを目指すことだけが幸せかよ、なんて悪態ついてたけど一番幸せを求めているのは自分かもしれない。

なかなか本気で笑わない、父親への嫌味をよく言う母を、私はどう捉えてきたのだろう。私は、わがままでいいし、いい人なんて思われなくていいからすきなことしたい、ってそういう観念がずっとあった気もする。過度に家族に要因を求めるのは良くない気もするけど。私は、母親に幸せになってほしかったんじゃないか。綺麗事を言えばそうなるんじゃないか。若いころのやんちゃな彼女の話を聞くのがすきだった。だから私は彼女と恋愛について話をしたいのかもしれない。母親の笑っている顔が見たかったのかもしれない。知らない。わからないけど。家族なんて、自分にとって当たり前すぎて、比較対象を探そうとも思わないし見つかりやしないんだから、家族についての理解は年を経ても深まる気はしない。

 

地に足がついていない私にとって衝撃だったのは、就活なんだろう。

自分と同世代で、自分より優れた人間がしぬほどいることに気がついてしまった。

多分、大学という場が自由すぎたのだ。自由すぎて、差が大きく開いてしまった。ずっと遊んでいただけの私は、そうでない、思考力を鍛え、ビジネスを理解し、社会へ溶け込むことに意欲的な人間ばかりに囲まれて、自分の情けなさに気づいてしまった。自由でいたいとかいって、現実で自由を手に入れるための努力を全くしなかった私の情けなさに気づいてしまった。

自由にいるための努力とかマジで意味わかんない。わかんないよ。もう自由じゃねえじゃんそれ。「自由を手に入れるための不自由」だ?うるさいなあ。そういうこと言ってないよ。けど、もうそれしかないんだよ。自分の存在が自分だけでは成り立たないこと、自分の運命は自分だけでは良くも悪くも成り立っていないこと、自分は社会のなかにいる人間が産んだものであること、社会に守られて育ってきたこと、社会を志向していること、社会が愛しくてたまらないこと、社会の汚さに辟易とすること、全部、全部認めたら、もうやるしかない。私の自由を今から手に入れるために。やるしかない。

 

確かに、私はそうだった。

「やるしかないなら早くやろうよ」っていう人間だった。遊ぶために生きているような人間だった。食と、すきな人と、開放を求めて生きていた。「そっちのほうがかっこよくね?」って美で動く人間だった。

 

別に、

仕事が生きがいじゃなくたって、思考が複雑じゃなくたって、真面目な場面ですべて頼ってもらえなくたって、すきなはずの彼と違ったっていいんじゃないか。

すきな人が、いつの間にか目指すべき像となり、比較対象となり、正解になってしまった。多分、相性と時期が悪かった。あのときに、こんな人間の近くにいたら、私はこうなってしまうのだった。

けれどもちろん恨むつもりもない。いや本当は、もっと優しくしてくれたって!と思わないでもないけど、もっと大人っぽい人と付き合えばよかった!とか思わないわけではないけど、彼と会わなかったら私はまだ地に足がついていなかったかもしれないし、地に足がついた人間を一生嫌わなければいけなかったかもしれないし、怠惰になってしまったかもしれないし、何にも気が付かなかったかもしれない。

 

私がすきなもの、

銭湯、フェス、音楽、食、すきなひとたち、

全部開放するためのものだった。私を無駄な緊張から、恐れから解き放つものだった。

私は一番誇らしい自分を知っていて、それは開放された私で、なんでも許せる私だった。人間を愛で包める私のことが、私はだいすきなんだと思う。

そうであれたら、そうであるために、私はしっかり立ってやろうかなあ。

今の地面に立って、ちゃんと鎖は外して、いまはたまに数センチ飛んで笑いながら、いつかは10mくらい常に浮いていられたらなあ。それを目指して生きられたら、たぶんそれでいい気がする。