制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

 

「いつまでも不自由を愛さないでね」

我ながらいい言葉、そして結構厳しい。

 

私はもともとかなり涙もろく、泣きやすいタイプだ。

父親も母親もだけれど、特に母親。妹も例にもれず泣きやすく、感動もののドラマや映画でわかりやすくみんな泣くような家族。

だから泣くことになんの抵抗もなくて、「人前で泣きたくない」とか全く思ったことがないどころか、自分が泣いてない場面で泣いているひとをみると「いいなあ」と思う。なにが「いいなあ」なのかというと、泣けるほどの真剣さとか、素直に感動できてしまう純情さとか、周りに気を使わず泣ける鈍感さとか。場面によっていろいろだ。

 

定期的に泣く癖がある、というか、定期的に自分に絶望し世界を嫌悪し周りに嫉妬する時期がある。

近頃だいぶ回数が減ってきたのは、幾分か客観性が身についたからといった成長もあるし、忙しいから、とか恋人とだいぶ長い付き合いになるなかで安心感が増したから、みたいな一時的な状況もある。

 

なぜ泣くのかというと、上に書いたとおりなのだけど、自分の甘さと情けなさに腹が立ち、あれこれ言ってくる世界が嫌いになり、自分の弱い部分をなんなくこなす人たちが羨ましくて仕方なくなる。うまく言語化できないけど、簡単に言えば感情面でのキャパシティを超える量の情報やら言動を受けたときだろう。

全部、解決策は分かっていて、やればいいのだ。やるのみ。後悔、絶望、嫌悪、嫉妬、そんなものは私の何も変えてくれない。

けれどどうしてもつらくて泣いてしまうのは、折り合いがつかないからだ。

期待に応えたい自分、誰の言うことも聞きたくない自分、好き勝手生きて暴れていきたい自分、人の言うことを聞いて素直に成功に向かいたい自分、成功して現世での声を大きくしたい自分、テンプレの成功になんてのせられてたまるかと思う自分、なにがなんでもやってやるという自分、すべてどうでもいいから楽しく生きたいと願う自分。

折り合いがつかない。全部正解で曖昧だ。私はそんなに簡単じゃない。世の中に対して一つの答えをもてる程素直じゃないけど素直になれたらいいとは思う。

 

本当は、すきなひととずっと一緒にゆっくりしながらほどほどに頑張れればいい。

でも本当は、毎日しんどいって思いながら野心を燃やして頑張りたい。

「どっちもとればいいじゃん」って分かってるけど、そのために頑張るのはゆっくりしているうちに入らなくないか?どっちも叶えられる手段があるのにそれにすら文句をいう私は究極にわがままなのかもしれないな。

 

今までの人生が嫌になる。なんであんな呑気に生きてしまったんだろう、なぜやりたいことをやらなかったのだろう。

「もう自分の今までの道を正解にするしかないじゃん」って言ったひとが「でも大体の人は俺に追いつけないと思う、こんな経験している人いないし」って経験を誇る。ああもう私はどうすればいいんだ。誰の話も聞きたくない。いやでもすきなひとの言うこと聞いて生きちゃいたい。でもでも私のすきなひとは「その人らしいから」すきなのであって、「その人だから」すきなのではない。

ポジショントークじゃないトークなんてないから、みんな自分の道が正解だって言い切る。それが気持ち悪くて悲しくて腹立たしい。うるさいな。じゃあ私の正解があるって言いたいなら黙っててよ。でも、私だけの思考で進んでいけるほど強くも自信もなくて嫌になるな。

たとえば、ビジネスで成功している人はえらそうに私に教えてくれるけど、たぶん恋愛だったら私のほうが上。ただ、恋愛はビジネスで役に立たないだけ。それだけなのに、いやそれだけだから偉そうにいうんだろうけど、それだけじゃん。

ネオリベラリズムなんてだいっきらいだ、選民思想なんてだいきらい。選ばれたひとでありたかったけど、誰も置き去りにしたくなかった。客観的に見ることは諦めることじゃない。

 

どうせこんな文句垂れたっていつかは言われたことが正解だって気づきそうで腹が立つ。誰にも会いたくないし、さみしくてしょうがない。頑張りたいけど、頑張りたくない。でもどうせ頑張るんだしなあ、全部捨ててもいいかなあ。でもなあ、テンプレにのりたくないのよね、でもテンプレに載ったほうが早そう。は~。友達はどんどん減っていきそうだし、いやになっちゃうなあ、の備忘録。