制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

恋に沿える音楽のすゝめ

私の音楽遍歴はすきだった男たちの音楽の好みの寄せ集めだ。

いつも恋に音楽がつきまとう。

ロックをすきになったのも最初に本気ですきになったひとの影響。憧れのひとと近づけた日に教えてもらった曲、すきなひとが私たちの関係性を当てはめた曲、滲み出る頭のよさに惹かれたひとがすきだと言っていた曲。

空気に匂いがあるように、音楽には感情が付きまとう。去年の春のわくわく、毎日泣いたあのころの苦しさ、あの夏の夜の静かなときめき、ずっと鬱々しく自信がなかった数か月。忘れていたすべてが一瞬でぶわっとフラッシュバックする。当時の自分を懐かしく思い、時に頑張ったねと褒めたり、時に幸せだったなあと感慨深げになる。

恋愛は人生の肥やし程度でいい。そうは言えど肥やしどころかメインデッシュにしてしまいそうになるのは、属人的な愛情深さによるものだけでなく音楽をたのしむためでもあるのかもしれない。なんの得にもならないような男女関係もすきなのはなぜかと考えると、振り返りたのしむため、という結論が出た。私的恋愛観としては、美化して甘いところだけ残してずっと鑑賞するために恋愛的な諸事をしているというところがある。しかし、いくら反芻しても記憶は薄れてしまう、当時は覚えていたはずのことも思い出せなく朧気になり、ことさら感情は気にも留めなくなってしまう。そこで、音楽だ。誰それが言っていた曲、まるで私たちを歌ったような曲。その音楽自体につながりを感じてもいい。自分の好みの変遷に恋愛を感じるのもいい。メロディーやフレーズできゅっとなるのもいい。感傷に浸りたい夜のBGMにしてもいい。

過去の恋愛は取り返せない。あの頃の2人の関係はあの頃の2人だけのもの。きっといまの私とあの人でも無理なのだ。思い出すだけではずかしくなる恋も、憧憬と下心が半分ずつの関係も、一晩の記憶さえも、もう手に入らない。いまあるものも、少ししたら取り返せない。取り返すことも、ずっと鮮やかに反芻することもかなわないなら、音楽に閉じ込めておけばいい。つらくてしょうがない相手や、だいすきなあのひとを思いながら何度も何度も聞いた曲は全部守ってくれる。私の大切なきらきらしたものを優しく吸収してくれて、歌詞と一緒に何度でも再現してくれるのだ。会えないひとに会いたいとき、ふと思い出したとき、愛が強くなったとき、1人で聴いたらたぶん胸がぎゅっとなる、そんな音楽を増やしていく。こうして人生をたのしくゆるくきらきらさせていく。