にじゅういち、ずっとおつかれ
異常気象の雨続きの日々の中、珍しく晴れた。
外には蝉の声、久しぶりの青空、時折吹き込む風。
青々と晴れた外界に反して灰色の箱の中で涙を流す、でも晴れやかだ。
冴えないと思っているベンチャー企業の2次面接。
あまりにぬるっと始まり、ペースが作れず終始ちょっと噛んでいた。
「何でも聞きたいことどうぞ」と言われ、なんだか雰囲気が好みな面接官だったので「なんでそうやって強気で判断できるんですか」と聞いてみた。
最終的な答えは、「自己肯定感と完璧主義」だった。
でもそれより、最後の方に聞いた「自己肯定感が高い人とそうでない人の決定的な違いは、判断基準が自分の中にあるかだよね」という言葉が強く響いた。
最近、DeNAの創業者である南場さんの記事を読んで強烈に感動した、そのときも泣いた。
そうしたら、今度はDeNA出身の面接官。
先日の言葉とは打って変わって人への優しさがこもった言葉。
人生とはこういう風に偶然や対極が巡り合わされるから興味深い。
21年間、すっごく疲れた。しんどかった。
ずっと、人の期待、人の言葉を受け入れて、それが私のすべきことなのだと思って生きてきた。
自分で決断はしたけども、ある程度のレールはいつも引いてもらっていた。高校選びも、ましてや大学選びなんてずっと前からレールを敷かれていた。
社会的な価値を出せば大喜びしてくれる祖父母と父の期待に答えたかった、というかそうやって私のこと大事にしていてほしかった、私のことを大切だ、と自慢だ、と言ってほしかったのかも知れない。
素の自分でいても嫌われないことは分かっていたけど、結果を出せばもっと好きでいてもらえる気がしていて、だから結果を出した分だけ贔屓されて当然だと思っていた。
そこに自尊心やらプライドが混ざって、「私は結果出せる人間なのだから、結果を出して自分の価値を上げるんだ」ってずっと思ってた。
小さい頃から周りの顔がすこしよく見えすぎていた、自分が何をすればどう喜んでもらえるか知ってた。それに答えて褒められたかった、認められたかった。相手の言うことを聞くのは素直だからではなく、相手に認められたかったから。特に立場が上の人であればあるほど認めてもらいたかった、だから顧問に反抗するなんてもってのほかだった。
めちゃくちゃ苦しかった。人がしない苦労をしていた。
だから誰にも分かってもらえない気がしていたんだ。自信過剰ではなく、本当に人がしない(この場合の人、は私がずるいと思っていた人だ)苦痛だった。
誰かに何かを言われたらそれが自分の評価だった、周りの世界が全てだった。
それでいいと思ってた、自己満足なんて何になるか分からなかった。
それはそうかもしれないけど、何を成すにも自己肯定感が大事なのだ。
自己肯定できなければ、人に振り回され、一貫性・自分の考えはなく、すなわち情熱ややり抜く力がない。それでは、ここでは勝てない。ぬるま湯でゆるゆると幸せに生きることしかできない。
私が本当に求めているものは、死ぬ気で出す実績単体でも、ゆるゆるとした素朴な日々でもなく、自己研鑽していくことなんじゃないだろうか。
お金があっても、新しいものに出会いたい、そして自分に磨きをかけたい。
自分に磨きをかけたいのは、人に認められるためなのか、自分が自分を誇らしいと思うためなのかそれはまだ分かんないけど。でも、後者が0ではないと思う。私はいつだって私との約束を守りたい。私に、私ってかっこいいでしょ!って思ってほしい。
この世界を生き抜くために、この世界でやってやるために。
絶対私はやってやる。私はできるっていう私の期待を実現したい。
そのために、人からの評価を気にするのをやめる。
言葉で書くと浅いけど、たぶん絶対難しい。あんな成功者に、尊敬する人に、だいすきな人に、そうだいすきな人に言われたことだって、真に受けないようにする。
人に語られるのがすきだった、だいすきな人に自分を語ってもらうのは楽しかった。
早くうるせえなあと思えるようになりたい。どんなに尊敬していても、すきでも、アドバイスはありがとう、でも私は違うと思うって言えるようになりたい。
ワナビーだけど、もう決めた。決めたら、今まで生きてきた人生が、真摯に悩み続けてきた私が愛おしくてしょうがなくて抱きしめてあげたくなって、それで泣いた。
無駄じゃない、今までの私はよく頑張ってきた、しんどいっていいながらよくここまで折れないで頑張った。きつい言葉を投げられて死ぬほど落ち込んで、それでもなんとか踏みとどまってきた私を、部長をやめた私も、受験勉強で毎日泣いてたあの頃の私も、大学入ってあの子と自分を比べて泣いてた私も、愛おしい。と、同時にそんな自分が変に誇らしくてまたそれをやってしまわないように戒める。
もうそんなことしなくていい、私の好きに生きたらいい。
私が守りたいのは私との約束。私以上に私を大事にできる人はいない。
頭悪いねって言われても、浅いねって言われても、かわいくないねと言われても中指立てて笑って生きたい。最高の人生だなっていっつも楽しめるくらい、自分を愛したい。
他人の期待に答えるのはもうやめだ、私は私と生きていく。
いままでずっとお疲れ様。愛おしい私へ。