制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

じかんとなれ

 

凛としている人間になりたい。ずっと、どこにいてもそのひとらしくしゃんとしてる人に憧れる。私はずっと違かった。ずっと承認を待っていた気がする。誰かからの、なにかからの。いつでもずっと。だからそうじゃないって決めるのすら怖い。今までの人生、とか合理性のないことを考えていた。「できなくて情けない」じゃない、「教えてくれてありがとう」なだけだ。悪くないよ何も。

他人は結局他人なのだ、課題の分離、なんでできないの。とかこうやってすぐ自分を責めて分かっている気になってストイックになっている気になって泣いてる、こういうところが甘い。嫌いだ。たぶん、自分に甘いところがずっと嫌いだ。嫌いじゃなくてそれが私のかわいさだとかいいところの裏返しだと思ってた。だからずっと一緒にいたんだ。だけどたぶん一番嫌いだった。私が一番私の甘さを嫌ってる。

自分で考えきれないところすなわち自分に自信や心がないところ、目標すら他人依存だからモチベーションが続かないところ、承認を求めているから競争に飲まれるところ、結局なんとかなると思っている人に助けてもらえると思っているところ、他人にいい顔しているだけで人気なふりをしている軽薄なところ、さっきも言ったけど自己嫌悪みたいなアピールをするところ、中途半端なところすなわち中途半端にプライドが高いのにやりきらないところ、でも直すなんて辛くてできないとか甘いこと言ってるところ、過剰に自分を卑下するところ。ぬるい、自分のために生きてない。覚悟が足りない。

幸せになりたい、お金持ちになりたい、全部欲しい、本当か?

そのためになんでもできるのか?そうじゃないくせに言ってるからこんなんになる

泣いて伸びて、泣いて伸びて、その過程はもう甘い。

人に決めてもらう、示唆をもらう、断言してもらう。甘い、だから承認を求める。

自分で決定し、自分で行動し、その結果の責任は自分で取ると決めていない。だから甘っちょろくて自立していない、凛としていない。

別に私のことを責めているわけではない、あなたは無能ではない、無力じゃない。

あなたの中にあるものだけがあなたの資産で、それさえあればなんでもできる。

他人と比べないでね、それはあなたの勝ち筋ではないから。