制服記

シティガールたちよ。

きょうとのせんとう

 

京都にて、もうすこし余裕や無駄を大事にしようと思ってきた旅の2日目深夜の銭湯。

私が洗っていると、続々と舞妓さんが入ってきた。

彼女たちは上品に、丁寧に、風呂場に入るときには皆に挨拶をし、脱衣所では先輩や常連と思われるマダムたちに屈んで声をかける。

こういう類の、とくくるのも失礼だろうけれど、若い時から覚悟を決めてそれ以外見えなくなるような生活に身を投じたひとたちを見ると、感心し尊敬する。私はいまなお進路、もはや大まかな興味ややりたいことさえ見えていないというのに、同じくらいの歳の彼女たちはこうも凛と生きている。少なくともそう見える。

彼女たちが入ってきたとき、その結い髪で一目で舞妓さんだと分かったものの驚きはしなかった。銭湯でみる舞妓さんというのははじめてだったけれど、そういうものかとすっと入ってきたのは番頭や常連たちの慣れた対応のせいか、京都という土地柄に抱く幻想みたいな希望のためか。

忙しなく進む時間を痛感する東京にいては見られない生活を舞妓さんに見た。

挨拶のたびにすこし屈む仕草と結い髪をそのままに着ていたものを脱ぎはじめることはなんだかアンバランスで、銭湯で会う舞妓さんというのは「舞妓」という職業としては完全体ではない彼女たちなのだけど、化粧を落として素の部分を見せながらも凛とした感じが見てとれて、というよりは勝手に感じてしまって、これでは東京は息苦しくなるわけだなどと考える。

休日に出かける東京、着飾ったひとびと。ギャラリーやセレクトショップが並ぶ駅、雑誌のスナップのような服を着て歩くひとびと。はたまた満員電車に潰されながらも、スーツを着て都会で戦うひとびと。誰もが着飾って精一杯でいて、それを誇示しあっているかのようだ。

京都にいれば私も、黒髪にノーメイクに近い軽いメイクでラフに服を着て何も気にせずただ凛とあれるようになるだろうか。