制服記

いつまでも不自由を愛さないでね。

なつのようだね

 

ねえ先輩、助けてよ、ってずっと助けを求めてる。

私のだいすきなあのひとは、私のあこがれで拠り所、一つの世界。

 

最近ちょっと泣かないようになったの、それでなんとなく嗜好品に頼ってる。

これを大人になっただとか、対処法を覚えるだとか表現するんだろうか。

確かに、割と恒常でいられていて正解な気はするんだけどさあ。

 

いまだに弱い、だって友達一人のことでこんなに悩んでしまう。

憧れるから、知っているから、同級生って厄介、どうしてもライバルだ。

 

先輩って便利な言葉で、特に大学の先輩ってめちゃくちゃ便利なの。

仕事みたいに怒られたりする必要ないの、対等なのに明らかにこの数年の差は大きい。

これが若いってことだろう、1年の重みが違う。ずっとこうありたいけど。

 

先輩、って言えば諦めたり頼ったり甘えられる。

私のだいすきなあのひとは、自分の世界があってそれはとても強固な世界に見える。

たぶんそんなことはない、なんだかんだひとに影響されて広い世界に影響されて彼の世界。わかっているけど理想を投影したいのだ、彼に。

 

おそろい、それは過去の話になってしまっていると思うからおそろい"だった"たばこの銘柄とか、彼の適当な一言一言、そういうものに救われていて、救われたい。

生き方なんてわからない、自分にとっての正解すらわからないのに彼はわかってるみたいに生きていてだいすき。揺れても彼らしい選択をする、というか彼がした選択はすべて正解に見える。

 

彼は自分のことを理解していて、自分の道を歩いていて、でも他人のこと否定しないで、けど思ったことは言う人だ。たまに聞かせてくれる。

誰にも媚びていなくて、うまく生きてる。

 

ちゃんと自分の人生を生きたいと思えるようになったから、悲しいことがあってもちゃんといつもに戻って頑張りたいと思う。けども戻るときには、道標が必要で、彼がそれ。

 

彼にとってもなんでもない全てが愛しくて思い出すと泣けるくらいにはかっこよくて、全部ずるい。でも絶対彼は気づいていない、知らないけどたぶん気づいてくれていない。

たぶん恋だし、たぶんただの憧れだし、ずっとなんてないだろう。

ただ、いまは強烈に彼が輝いて見えて眩しくて、迷うたびいつもその光に行き着く。

 

知ったら絶対に違うってどこかでわかっている、だから知りたいっていうのはもうちょっとだけ知りたい、であって、全部知りたい、ではない。

だからこれでいいし近づきすぎることもないんだろう。私は理想に恋して憧れて、アホくさいけど、光があまりに強い。眩しくて美しすぎる。

 

あの瞬間が、あのひとことが、あの文章が、あの動作が頭に残って、思い出すと笑顔になってしまうほどで、なのにそんなひとにダサいところや黒歴史を見られてばかりでちょっと自分がいやになるし情けないし恥ずかしいんだけど、それでも許されていて、たぶんどうでもよくて、けれど許されているとかどうでもよくて愛されたい。

なんでもいいからかわいいねって思われたい。その分だけ愛したい。

ずっとずっとあなたのことすきでいたい。

 

 

 

「いつまでも不自由を愛さないでね」

我ながらいい言葉、そして結構厳しい。

 

私はもともとかなり涙もろく、泣きやすいタイプだ。

父親も母親もだけれど、特に母親。妹も例にもれず泣きやすく、感動もののドラマや映画でわかりやすくみんな泣くような家族。

だから泣くことになんの抵抗もなくて、「人前で泣きたくない」とか全く思ったことがないどころか、自分が泣いてない場面で泣いているひとをみると「いいなあ」と思う。なにが「いいなあ」なのかというと、泣けるほどの真剣さとか、素直に感動できてしまう純情さとか、周りに気を使わず泣ける鈍感さとか。場面によっていろいろだ。

 

定期的に泣く癖がある、というか、定期的に自分に絶望し世界を嫌悪し周りに嫉妬する時期がある。

近頃だいぶ回数が減ってきたのは、幾分か客観性が身についたからといった成長もあるし、忙しいから、とか恋人とだいぶ長い付き合いになるなかで安心感が増したから、みたいな一時的な状況もある。

 

なぜ泣くのかというと、上に書いたとおりなのだけど、自分の甘さと情けなさに腹が立ち、あれこれ言ってくる世界が嫌いになり、自分の弱い部分をなんなくこなす人たちが羨ましくて仕方なくなる。うまく言語化できないけど、簡単に言えば感情面でのキャパシティを超える量の情報やら言動を受けたときだろう。

全部、解決策は分かっていて、やればいいのだ。やるのみ。後悔、絶望、嫌悪、嫉妬、そんなものは私の何も変えてくれない。

けれどどうしてもつらくて泣いてしまうのは、折り合いがつかないからだ。

期待に応えたい自分、誰の言うことも聞きたくない自分、好き勝手生きて暴れていきたい自分、人の言うことを聞いて素直に成功に向かいたい自分、成功して現世での声を大きくしたい自分、テンプレの成功になんてのせられてたまるかと思う自分、なにがなんでもやってやるという自分、すべてどうでもいいから楽しく生きたいと願う自分。

折り合いがつかない。全部正解で曖昧だ。私はそんなに簡単じゃない。世の中に対して一つの答えをもてる程素直じゃないけど素直になれたらいいとは思う。

 

本当は、すきなひととずっと一緒にゆっくりしながらほどほどに頑張れればいい。

でも本当は、毎日しんどいって思いながら野心を燃やして頑張りたい。

「どっちもとればいいじゃん」って分かってるけど、そのために頑張るのはゆっくりしているうちに入らなくないか?どっちも叶えられる手段があるのにそれにすら文句をいう私は究極にわがままなのかもしれないな。

 

今までの人生が嫌になる。なんであんな呑気に生きてしまったんだろう、なぜやりたいことをやらなかったのだろう。

「もう自分の今までの道を正解にするしかないじゃん」って言ったひとが「でも大体の人は俺に追いつけないと思う、こんな経験している人いないし」って経験を誇る。ああもう私はどうすればいいんだ。誰の話も聞きたくない。いやでもすきなひとの言うこと聞いて生きちゃいたい。でもでも私のすきなひとは「その人らしいから」すきなのであって、「その人だから」すきなのではない。

ポジショントークじゃないトークなんてないから、みんな自分の道が正解だって言い切る。それが気持ち悪くて悲しくて腹立たしい。うるさいな。じゃあ私の正解があるって言いたいなら黙っててよ。でも、私だけの思考で進んでいけるほど強くも自信もなくて嫌になるな。

たとえば、ビジネスで成功している人はえらそうに私に教えてくれるけど、たぶん恋愛だったら私のほうが上。ただ、恋愛はビジネスで役に立たないだけ。それだけなのに、いやそれだけだから偉そうにいうんだろうけど、それだけじゃん。

ネオリベラリズムなんてだいっきらいだ、選民思想なんてだいきらい。選ばれたひとでありたかったけど、誰も置き去りにしたくなかった。客観的に見ることは諦めることじゃない。

 

どうせこんな文句垂れたっていつかは言われたことが正解だって気づきそうで腹が立つ。誰にも会いたくないし、さみしくてしょうがない。頑張りたいけど、頑張りたくない。でもどうせ頑張るんだしなあ、全部捨ててもいいかなあ。でもなあ、テンプレにのりたくないのよね、でもテンプレに載ったほうが早そう。は~。友達はどんどん減っていきそうだし、いやになっちゃうなあ、の備忘録。

 

 

生活、つまり1K

生活力が皆無に等しい私が1人暮らしをはじめた。もう2年前の話か。

望んだ大学に入った私が晴れた気持ちだけで新生活を始められなかったのはきっと1人暮らしを始めたからだ。不安だった。近くに誰もいない、誰も助けてくれない、仲いい友達もすぐには会えない、ホームシックにかかったことのない私も家族がいないことの孤独を痛感することになった。

死ぬほど泣いた。毎晩毎晩夜が深くなるにつれてどこからか湧き上がる劣等感、無力感、自己嫌悪、孤独。すきな音楽も助けてくれなくて、友人に電話しても次の日にはまた同じように沈んでいた。

人間の情けないところを見た。私は酒癖が悪いし、男はすぐ手を出してくるし、憧れのひとは優しいし、すきな人は思ったより弱い。信じていたのに、なんて泣き寝入りするよりも強く生きていこうと思った。そのかわりに優しくて穏やかな自分が削られたんだろう。

朝の明るい日差しにときめいた。泣いて疲れて、自己嫌悪して疲れて、感傷に浸って疲れて、沈むように寝ても、起きれば明るい日差しがどうにか私を歩かせる。まるで昨晩の鬱が嘘のようにしゃんといれる朝も、泣いた痕跡がひどい目の腫れになってなんとなくちょっと暗くてでも爽やかな朝もあった。

この1Kははじめての私だけのシェルターだった。私だけが知っていることが必然的に増えるこのシェルター。誰にも言えないことなどあまりないけれど、すべてを知っているのは明らかに私だけだった。それと、この部屋。

明るいね、だとか、キラキラしてるね、だとか言われた裏にある涙や自己嫌悪を知っているのはこの部屋だけ。酒癖悪いんだよね、とへらへらする私が幾度の失敗をし、幾度の甘い記憶をつくっているかを知っているのも。私の都合のいい改変も、汚い気持ちも、自分のために流した涙も、この部屋と私だけの秘密。ひとが嫌いになったらここに戻ればよかった、寂しくなったらここに呼べばよかった、どんな疲れもとりあえず帰って寝れば回復できた、私に何があろうと私を責めないで守ってくれた。

そんな部屋ともあと3日で別れる。

四角くて、均質で、無機質で冷たい。小さくて、穏やかで、日射しがさして優しい。2年なんて一瞬だ。ただこの一瞬は、とても汚くて苦しくてでも何度も挑戦した、忘れられない2年間、はたまた青春。この部屋はまた誰かの生活を見守って、私は別の部屋と歩き出す。

恋に沿える音楽のすゝめ

私の音楽遍歴はすきだった男たちの音楽の好みの寄せ集めだ。

いつも恋に音楽がつきまとう。

ロックをすきになったのも最初に本気ですきになったひとの影響。憧れのひとと近づけた日に教えてもらった曲、すきなひとが私たちの関係性を当てはめた曲、滲み出る頭のよさに惹かれたひとがすきだと言っていた曲。

空気に匂いがあるように、音楽には感情が付きまとう。去年の春のわくわく、毎日泣いたあのころの苦しさ、あの夏の夜の静かなときめき、ずっと鬱々しく自信がなかった数か月。忘れていたすべてが一瞬でぶわっとフラッシュバックする。当時の自分を懐かしく思い、時に頑張ったねと褒めたり、時に幸せだったなあと感慨深げになる。

恋愛は人生の肥やし程度でいい。そうは言えど肥やしどころかメインデッシュにしてしまいそうになるのは、属人的な愛情深さによるものだけでなく音楽をたのしむためでもあるのかもしれない。なんの得にもならないような男女関係もすきなのはなぜかと考えると、振り返りたのしむため、という結論が出た。私的恋愛観としては、美化して甘いところだけ残してずっと鑑賞するために恋愛的な諸事をしているというところがある。しかし、いくら反芻しても記憶は薄れてしまう、当時は覚えていたはずのことも思い出せなく朧気になり、ことさら感情は気にも留めなくなってしまう。そこで、音楽だ。誰それが言っていた曲、まるで私たちを歌ったような曲。その音楽自体につながりを感じてもいい。自分の好みの変遷に恋愛を感じるのもいい。メロディーやフレーズできゅっとなるのもいい。感傷に浸りたい夜のBGMにしてもいい。

過去の恋愛は取り返せない。あの頃の2人の関係はあの頃の2人だけのもの。きっといまの私とあの人でも無理なのだ。思い出すだけではずかしくなる恋も、憧憬と下心が半分ずつの関係も、一晩の記憶さえも、もう手に入らない。いまあるものも、少ししたら取り返せない。取り返すことも、ずっと鮮やかに反芻することもかなわないなら、音楽に閉じ込めておけばいい。つらくてしょうがない相手や、だいすきなあのひとを思いながら何度も何度も聞いた曲は全部守ってくれる。私の大切なきらきらしたものを優しく吸収してくれて、歌詞と一緒に何度でも再現してくれるのだ。会えないひとに会いたいとき、ふと思い出したとき、愛が強くなったとき、1人で聴いたらたぶん胸がぎゅっとなる、そんな音楽を増やしていく。こうして人生をたのしくゆるくきらきらさせていく。

 

なつのひるのでーと、にねんまえのかきごおり

 

私が思っているより、いつも世界は単純だ。

私はどうも深読みしてしまうタイプで、女の子の扱いではだいたいうまくいくんだけど、男の子はてんでだめ。前日に泣きそうになりながら推測した相手の思案は1%もかすっちゃいない。「そこまで深く考えてないよ」といつも言われてしまう。

 

彼は私がそんな風に考えていたことすらしらない。いつもどおり遅刻なのはわかっていたけど、炎天下の中1時間の遅刻はひどい。けれど恋人じゃないうちなら大体なんでも許せる。かわいい。

 

目的だったかき氷屋さんは並んでいたのでチケットを発券した。2年前は場所も違ったしこんなにハイテクじゃなかったな。ただ、50分も待つらしい。どっかで涼んでて、と言われたので駅から5分程度のカフェを見つけて位置情報を送る。しばらくすると彼が来て「ごめん~」と軽く1回だけ言った。この人は本当に言葉にしないと言うか言葉にできないタイプなのだろうなあと思う。あれだけメッセージで謝っていて私が笑っちゃうくらいだったのに、かわいいなあ。

とっかかりやすい就活の話をしているうちにかき氷屋さんの順番が来て、う~んまあどうにかなるかといって少し遅れて席を立つ。コーヒーを飲む間、私の同期の女の子、彼が打ち上げで話していて私が辛くなっていた子だけど、の話も出たけど、慎重に探った結果別にそれほど関わりがなさそうなのでこの話は割愛。遅れた分、と代金を払ってくれた。さらっと金払いがいいのもすきだ。

 

かき氷屋さんに行くと、他のお客さんを先に入れてしまったからとちょっと待たされる。待ち時間で腰掛ける席がちょっと近くて嬉しくなってしまう。だいぶ会話も解れてきて、いつも遠慮していたようなことも聞ける。彼も、割と真剣に話してくれる。私たちはなんだか、ちょっとずつ相手を信頼している。というか、私がか。毎回味わっている少しずつ距離の縮まる感覚を思い出した。かき氷屋さんでは今流行りの生のフルーツソースを掛けたものを食べて、その間にどうでもいいようなことを話した。バイトとかそういう話をしていて、彼が相当、普通の社会人くらい稼いでいるみたいな話になって、「先輩にパパ活したいです~」というと、「して~」って返ってきたので普通にうれしくなった。金銭授受があれば、仕事として成立するんではないかな?どうかな?

 

そのあと解散の予定だったんだけど、どうする?みたいな話になったのでとりあえず延長してみた。夜までは長引かせないと決めていたので、夕方くらいまでという暗黙の想定で、行きたかったところに連れていった。道すがら、私の言ったことについて話したり彼について聞いたんだけど、「え~秘密、多くは語らないタイプだから」と言われてなんだそれと思いながら歩いた。みなとみらいの新しくできた商業施設。あそこらへんの商業施設は中身がスカスカ、なんて話をしながら例にもれず中身がスカスカの新しい商業施設を一通り巡った。酒は飲まないと決めていたのだけど、締めに困ってビールを野外で飲んだ。適当に目の前にいる犬をかわいいね~と眺めていて、私がふと「いいなあ犬は、お手すればかわいがられて」と口に出した。私は何も考えずにこんなことをいうんだけど、大体みんな同意したりなにそれと一笑する。彼といえば真顔で手を出してきて、私も真顔でお手をした。左だからおかわりか。彼が真顔過ぎて「全然喜んでない~!」と文句を言ってみたけど、こういうところだ、たぶん、私が彼をすきなのは。こういうどうでもいいところで、予想はつくけど、でも意外にみんながやらない反応をする。思考がどこか似ているのだろうか、そうだとうれしいな。こういう私にドンピシャな反応とか空気とか、そういうものがだいすきで魅力的だと思う。彼はいつもそんな感じ。

 

お礼のメッセージはまた彼からだった。メッセージのやり取りは意外に続いて、やっぱり仲良くなっている気がする。写真を送ってみたり、どうでもいい会話を続けたり、見つけたツイートを送ってくれたり。いつもよりかわいくて、次は昼のデートじゃなくて銭湯になりそう。夜は危ないからなあ、気を引き締めないとなあと思いつつ、彼の返事がかわいい。

 

まだ連絡は一応続いている。今日は彼の誕生日だ。すっかり忘れていた。昨日言っておけばよかった。まあいいか。渡しそびれたプレゼントとともに、次回言おう。

にじゅういち、ずっとおつかれ

異常気象の雨続きの日々の中、珍しく晴れた。

外には蝉の声、久しぶりの青空、時折吹き込む風。

青々と晴れた外界に反して灰色の箱の中で涙を流す、でも晴れやかだ。

 

冴えないと思っているベンチャー企業の2次面接。

あまりにぬるっと始まり、ペースが作れず終始ちょっと噛んでいた。

 

「何でも聞きたいことどうぞ」と言われ、なんだか雰囲気が好みな面接官だったので「なんでそうやって強気で判断できるんですか」と聞いてみた。

 

最終的な答えは、「自己肯定感と完璧主義」だった。

でもそれより、最後の方に聞いた「自己肯定感が高い人とそうでない人の決定的な違いは、判断基準が自分の中にあるかだよね」という言葉が強く響いた。

 

最近、DeNAの創業者である南場さんの記事を読んで強烈に感動した、そのときも泣いた。

そうしたら、今度はDeNA出身の面接官。

先日の言葉とは打って変わって人への優しさがこもった言葉。

人生とはこういう風に偶然や対極が巡り合わされるから興味深い。

 

21年間、すっごく疲れた。しんどかった。

ずっと、人の期待、人の言葉を受け入れて、それが私のすべきことなのだと思って生きてきた。

自分で決断はしたけども、ある程度のレールはいつも引いてもらっていた。高校選びも、ましてや大学選びなんてずっと前からレールを敷かれていた。

社会的な価値を出せば大喜びしてくれる祖父母と父の期待に答えたかった、というかそうやって私のこと大事にしていてほしかった、私のことを大切だ、と自慢だ、と言ってほしかったのかも知れない。

素の自分でいても嫌われないことは分かっていたけど、結果を出せばもっと好きでいてもらえる気がしていて、だから結果を出した分だけ贔屓されて当然だと思っていた。

そこに自尊心やらプライドが混ざって、「私は結果出せる人間なのだから、結果を出して自分の価値を上げるんだ」ってずっと思ってた。

小さい頃から周りの顔がすこしよく見えすぎていた、自分が何をすればどう喜んでもらえるか知ってた。それに答えて褒められたかった、認められたかった。相手の言うことを聞くのは素直だからではなく、相手に認められたかったから。特に立場が上の人であればあるほど認めてもらいたかった、だから顧問に反抗するなんてもってのほかだった。

 

めちゃくちゃ苦しかった。人がしない苦労をしていた。

だから誰にも分かってもらえない気がしていたんだ。自信過剰ではなく、本当に人がしない(この場合の人、は私がずるいと思っていた人だ)苦痛だった。

誰かに何かを言われたらそれが自分の評価だった、周りの世界が全てだった。

それでいいと思ってた、自己満足なんて何になるか分からなかった。

それはそうかもしれないけど、何を成すにも自己肯定感が大事なのだ。

自己肯定できなければ、人に振り回され、一貫性・自分の考えはなく、すなわち情熱ややり抜く力がない。それでは、ここでは勝てない。ぬるま湯でゆるゆると幸せに生きることしかできない。

私が本当に求めているものは、死ぬ気で出す実績単体でも、ゆるゆるとした素朴な日々でもなく、自己研鑽していくことなんじゃないだろうか。

お金があっても、新しいものに出会いたい、そして自分に磨きをかけたい。

自分に磨きをかけたいのは、人に認められるためなのか、自分が自分を誇らしいと思うためなのかそれはまだ分かんないけど。でも、後者が0ではないと思う。私はいつだって私との約束を守りたい。私に、私ってかっこいいでしょ!って思ってほしい。

 

この世界を生き抜くために、この世界でやってやるために。

絶対私はやってやる。私はできるっていう私の期待を実現したい。

そのために、人からの評価を気にするのをやめる。

言葉で書くと浅いけど、たぶん絶対難しい。あんな成功者に、尊敬する人に、だいすきな人に、そうだいすきな人に言われたことだって、真に受けないようにする。

人に語られるのがすきだった、だいすきな人に自分を語ってもらうのは楽しかった。

早くうるせえなあと思えるようになりたい。どんなに尊敬していても、すきでも、アドバイスはありがとう、でも私は違うと思うって言えるようになりたい。

ワナビーだけど、もう決めた。決めたら、今まで生きてきた人生が、真摯に悩み続けてきた私が愛おしくてしょうがなくて抱きしめてあげたくなって、それで泣いた。

無駄じゃない、今までの私はよく頑張ってきた、しんどいっていいながらよくここまで折れないで頑張った。きつい言葉を投げられて死ぬほど落ち込んで、それでもなんとか踏みとどまってきた私を、部長をやめた私も、受験勉強で毎日泣いてたあの頃の私も、大学入ってあの子と自分を比べて泣いてた私も、愛おしい。と、同時にそんな自分が変に誇らしくてまたそれをやってしまわないように戒める。

もうそんなことしなくていい、私の好きに生きたらいい。

私が守りたいのは私との約束。私以上に私を大事にできる人はいない。

 

頭悪いねって言われても、浅いねって言われても、かわいくないねと言われても中指立てて笑って生きたい。最高の人生だなっていっつも楽しめるくらい、自分を愛したい。

他人の期待に答えるのはもうやめだ、私は私と生きていく。

いままでずっとお疲れ様。愛おしい私へ。

 

あまーいせかいにずっといた

 

「やや底が見えるというかね」

ああ、私の人生ってそうなんだ。

ていうか多分私がそうなんだ。

定期的に、冷たく見える言葉を平気で投げてくる人と会う。

 

ただ疑問に思っただけ。

そして、疑問をぶつけただけ。

「うーん、もうちょっと自分のギブを考えた方がいいのではないかな」

面食らった。なるほど。そうか。

大人というものは分からない。

 

私の彼氏の話を聞く限り、社会人とは随分学生に寛容で優しいようだったし、友達の話を聞いていても、事業規模・詳細問わずに協力してくれる人ばかりのようだった。

ああ、そうか、私は甘えが足らないのか、と思っていた矢先がこれだ。

 

自分の軽薄さに薄々気付いていた。

それが問題だった。

 

勝手に他人を分類しては予想外の一面や業績に面食らった時に、まさかないだろうと思っていた人に抜かされた時に、自分が勝ると思っていた人にできることが自分にはできないと気付いた時に、感じる情けなさ。

自分はなんて軽薄なんだ、なんてつまらないんだ、と思うと、ある程度上辺で作れた業績が私を慰める。でも、あの子が得ないあれを持っているし、あの人ができないこれを出来る。そんな私だからいいのだと思っていた。

 

最近、余裕がなかった。

5daysのインターン、友達と話す時、家事をする時、歩いている時、すべて何かうまくいかない感じがしたしどこにも余裕がなかった。

家で音楽を聴いていようとも、なんだか急かされているようだった。

それはすべて、自分のバリューが発揮できていないと感じたから。

私がここにいる意味、友達に与えられるもの、同級生の中で秀でるもの、人生をきちんと振り返り現実を見るほど見つけられなかった。

自分の価値は無いのではないか、いやそんなはずはない、という、焦りと誇大したプライドのせめぎ合い。

 

いまだにこうだ、いまだに承認欲求ばかりに振り回されて生きている。

誰かに褒められ自分の価値を見出さなければいけない私、そんな私の恋人は決まって私ができないことをできる人、私の尊敬する人。

なぜ尊敬する人を選ぶか、これは異性としてだけでなく能力までも評価して欲しかった、評価されて安心して自分の価値を見出せる場所が欲しかったから。

だから、インターンや就活の話をするときには彼氏の反応を予想したり、反応の裏にあるであろう考えを伺ったりばかりしていた。

一緒に仕事をする誰かを褒められると私がだめなようで聞きたくなかった。

「仕事の話を本気でしたら、私のこと甘いって思うよね、たぶん」

と保険のつもりで言った言葉にうんと返された時には地味に凹んだし。

私が付き合う意味は、相手を独占するなんて可愛いものじゃなかった。

自分の尊敬する人に、自分を一番として常に扱うように強制できるから付き合っている。

 

「自分はダメなのではないか?という命題から逃れられない」というツイート、まさにその通りだ。

社会的な地位や表面的な性格で他人を裁いてるから自分がその罠にハマるそうだ。

多様性、偏見なし、博愛、そんなものを謳っていたときもあったなあ、どの口が言っているのか。

すべて、"そういう風に出来る自分"の演出のためだった。

 

他人を測る自分の物差しすらない。

「子供でも分かるような外見の優劣や、周りから好かれているかどうかでランクづけをしているのは、尚更たちが悪いし救いようがない。」

ずっとずっとこれをやっていた。かっこ悪いことだなんて知らずに、ずっと。

 

甘いよね、甘いのわかってる、と

ずっと言って何もやらなかった。

それだけの覚悟も思いもない、だからみんなに抜かされる。

私のいまの最大の欠点。

私の前には必ず、冷たいような言葉を投げかける人が時折現れてくれる。やっと感謝できるようになった。

 

それでももう今までみたいに、よしもう変わる!なんて怖くて言えない。

何回もそう思って振り出しに戻ってきて、現状これだ。

でももう早く進みたい。もうこんなことやめたい。すぐは無理だけど、ちゃんと全部壊したい。

まっさらに、素直に生きて、夢中になりたい。

なりたいではなく、なると静かに決めなければ。